2021/2/24(水)
https://altslum.com/2021/02/21/mta/

なんかツを見ていたら凄すぎる記事が流れてきた。全てが共感しかない。

感情の制御の話の方は具体的な部分に置いては色々相違はあるが、自分の感情を観察して制御する話を書いている人が他にもいるのはちょっとびっくりした。しかも結構面白いし。小5で人格作り直したってすごいな…

自分の感情がたとい把握できても制御は難しいんだよね。なんか良い方法はないのか。

そういえば斎藤環氏は著書で操作主義というものを批判してたな。


ジョギングに行った。

行く前にバナナジュースを飲んでいたので走っている途中ゲップが出てバナナ臭がマスク内に充満した。きたねえ。

いつも通りのコースで7,8km程度走るつもりだったのだが、途中で右膝の痛みが再発しかけたのでその後は歩いた。すぐに走るのをやめたので痛みはすぐひいたのだが、無理をしてさらに痛めるべきではない。

手袋を忘れたのでえらく手先が冷えてしまった。どうして末端というものはこうも冷えるのだろう。手袋を付けた場合でも手首より体側と手首より末端側でかなり冷え方に違いがある気がする。太い血管が無いということなのか?

帰ってから熱い風呂で思いっきり冷えた手を温めた。冷えっ冷えの手をあっついお湯に晒すと、感覚が回復するまでの間は熱さではない何か別の良く分からない感覚になってそれからゆっくり普通の感覚になっていくが、それがなんか好きなのでよく楽しむ。


最近やる気が出ないやる気が出ないと言っていたけど、もっと単純な事実として、腰を据えて何かに取り組む能力自体が失われてしまっていることに気付いた。

色々なタスクで精神がまいってしまっていたのは事実だけど、それはそれとしてやる気以前にタスクに集中して取り組む能力自体が衰えていて、それをやる気がないのとごっちゃにしていた。

つまり精神の回復自体はもうそれなりに出来ていて、次はこの能力の回復を目指せばいいという風に考えられる。「もう回復は済んでいる」という思考の道筋に至ったのは進歩だ。

病は気からというが、半分はそうでもう半分はそうではないように思う。実態として回復した上で、自分は十分に回復したという確信もあることは重要だ。まあ、実態として回復したかどうかは素人の自己診断である以上正しいかどうか分からないのだが。まあ、仮にそういうことにしておこう。

さて、衰えた集中力の回復はどうすればいいのだろう?特定のことに対してであれば最近でもそれなりに集中できていた気がするが。脳トレなどは良い選択しかもしれないが、脳トレというゲームに対する集中力しか上がらない気もする。まあ、やってみるだけ価値はあるかもしれない。あとは普通に実際のタスク自体を時間を決めて「何十分は絶対にやる」みたいな感じのことをやっていくのがいいと思われる。

きっと時間を忘れて取り組めることならいくらでも集中できるのだろう。あらゆるタスクがそうなら良いのだがそうは問屋が卸さない。人生ままならない。


最近ずっと頭に血が上っていない気がする。何か脳汁が出るような体験に欠けている。何もしてないのだから当然ではあるが、なんかこう、何をやろうとしてもたとい体に血が巡ったとしても頭だけには少しだけ血が足りていないような、そういう感覚がする。気分や感情と言うよりも、お腹の調子が悪いとか頭が痛いみたいな内臓感覚に近いものとして。

またそれに伴ってか、いつもやっていることなら脊髄反射で処理できるが、新しいことには何事ものめり込めないし深い思考に及べない、そういう感じもする。結構長いこと悩んでいる。

グーパー体操をしてみた。ちょっと、というか大分良くなった気がする。なんだこれ。良いな。とても良かった。これ習慣化しよう。久しぶりに脳が活性しているというか、正常稼働している感じがする。

フル稼働みたいなそんな大層なものじゃなくて、素朴に正常稼働している感じがする。今まで、脳の回路はちゃんと各部正常な形であるのに一部の回路にだけ燃料が行き渡らなくて全体が機能不全になっていたような感覚だったのが、脳の全ての回路において120%や150%みたいな感じではないにしろちゃんと最低限量100%の燃料がしっかり行き届いているような、そんな感覚になっている。本当に普通に健康になったというだけという感じなのだが、落差のせいですごく気分が良い。最高だ。


仕事が進んだ。やったー。


今日はグーパー体操が効いたのが全てだった。脳マジでただの臓器だな。血が通れば元気になるという当たり前の挙動を示してるだけじゃん。普通の物理的な段階の健康をやる前に精神論とかやってもケツ拭く紙にもなりゃしねえわな。

ちなみにグーパー体操にはやりすぎとかあるんだろうか。

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