精神体調面を本格的にどうにかしたいと思ったので、した。
17日夜:もう全てのタスクがやばくてどうにかしないといけないという思考に支配された。
17日深夜:全く眠れないまま夜が更け始めた。この辺で「あっ、自分、やばい」と感じる。サークルの仕事、大学の課題レポート、創作、に関する全ての思考にロックをかけた。特定の概念に対する思考を封印するのには慣れている。
18日5:30:外に出てめちゃくちゃに走った。
18日9:00:足腰立たなくなったので、ベッドで死んだ。
18日10:00:飯をかきこんだ。PCが邪魔だったので机からどかした。
18日昼~19日朝:20時間くらい寝た。
19日朝:飯をもりもりもりもり食った。
19日朝:ガンスリを一気読みした。
19日昼:すき屋で牛丼をかきこんだ。
19日昼下がり:どうしてもサークルの仕事があったので思考のロックを部分的に解除しつつ終わったら即再ロックしてPCには触らないでおいた。メイドインアビスを読んだ。
自分の部屋が自分の部屋じゃない、やや落ち着けないような感覚になっている。仕事や課題を自分の部屋に持ち込んでいることで思考が結びついてしまった、というより混ざってしまったと考えられる。以前に書いた「やりたいこととやるべきことの境が分からない」もこれだ。
自分のPCがそのシンボルになってしまっている。PCを開くのが憂鬱になる日が来るとは想像だにしなかったが、現になっている以上は仕方がない。本の趣味ももっていたのは幸いだった。ひたすらに「やるべきこと」の思考を封印しつつ、寝たり食ったり本を読んだりして再生を図った。やりたいこととやるべきことの境が不明瞭になっているのは手痛いところだが、とりあえず「体がもとめる」「頭を働かせる必要が低い」「憂鬱な思考に接続されない」の条件を満たすようなことはいくつか見つかったのでそれをした。PCを開きたくないので日報も18日は休んだ。今月15日はただの怠慢で休んだが、18日は意識的に休んだ。
やること(TODO)が複数になっていても、今現在やっている(DOING)が複数にならない限り問題ないと思っていたのだが、実際には「今現在やっている」が1つでも「今現在思考に登っている」が複数だと良くないということが分かってきた。つまり、今やっていること以外に対する思考には徹底的にロックをかける必要がある。目の前のことだけに、自分のペースで集中するにはそれが必要なようだ。
「休む」以外のことに対する思考に丸一日徹底的にロックをかけた。その後も、一度に複数個のことに対して同時にロックを解除しないようにした。多分、人間の思考習慣は本来これが一番健康的なのではないかと言う風に感じる。
まだ全快とは程遠いが、この休息が何らかの契機になったことを信じている。これを無駄にしないように「頑張って取り戻そう」という思考も封じていく。やることと考えることは一度にひとつまで。選べる選択肢に「徹底的に休む」というコマンドが追加されたのは良かった。
運動は良い。何も考えられなくなる。気分も晴れるから好きだ。
「美少女美術史」を読んだ。ブグローの描く女の子の足本当にめっちゃくちゃエロい。
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