2021/2/21(日)

今日はPCをそれなり触れた。回復してきてる気配だが、無理をしないようにしておく。


横浜駅SFの漫画版がWEBで無料で公開されていたのを見つけたので一気呵成に読んでしまった。

いくつか小説版との差異があったので楽しめたのと、あと登場人物の絵があるとやはり小説とは全然違う読みごたえになるのでそこは良かった。

しかしちょっと全体として残念だなーと思ってしまった点。やっぱり狂ったような横浜駅構造の風景がこれでもかと目の前に押し付けられるのをまず期待してしまっていたので、それがあんまり見れなかったのを不満に思ってしまった。無料で読ませていただいているのでネガティブなポイントを書くのは褒められたことではないと思うのだが、率直な感想。

読んだ感触としてどうも文字と人物だけを追う感じになってしまった。多分漫画でストーリーを提示しようと思ったら人と台詞さえ描かれていれば十分なのだと思うけど、世界観や設定を披露しようとしたら大写しの風景が必要になるのかなあというのを思った。大写しの風景というのは微妙に違うかもしれない。ごま粒のように小さい人影が必要だ。

日常ものやバトルもの、あるいは政治ドラマや恋愛などの人間関係主軸ものなど多くのジャンルの漫画では人物さえ描けていればほぼ本懐が果たせてしまうと思うのだが、このコミカライズはどうも相手が悪かったのではという気がする。


昼間、休息をとりつつ過去の記憶を掘り起こしていた。

以前に「最近自分が何が何だか分からなくなっている」と書いたがそれ以外に、だいぶ前から慢性的に自己肯定感が不足しているような感じがしていた。そこで現在の自分については複雑でちょっと良く分からないので、現在の自分の構成要素として過去の自分に関して想起しながら感情を観察してみたところ、中高あたりの自分は「それなりに好き」だが「必ずしもこれでなくても良かった」ような感じがするのに対し、小学校あたりの自分は「嫌い」だが「割とかけがえが無い」「ここを交換したら同一性が保てなそう」な感じがするということを発見した。好悪と交換可能性が転倒している。これは自己肯定感が保てない訳だ。

更に言うと、小学校辺りは「かけがえがなさそうな気がする」「嫌い」なのに「中身はあまりよく思い出せない」感じがする。これは妙だ。人格の核に近い方がより分からないとは?

無理のない範囲でちょっとづつ小学校時の記憶・思い出を掘り出してみたところ、いい思い出がそれなりある中にきつい思い出が何点か出てきた。多分この辺を整理しないでいた結果ゆるく「小学校の思い出」ということでまとまってしまった可能性がある。詳しく思い出しつつ徐々に整理していきたい。数日そこらで整理するには単純に量が多すぎる。とりあえずさしあたり好きな部分も嫌いな部分もあるということに意識が向けられたのは幸いだった。

小学校と中高の間での断層についてはもう少し観察する必要がありそうだ。これについては心当たりがあって、中学入学時、単純な環境変化以外に友人関係がほぼ総とっかえになったために、少なくとも表層的な振る舞いに大分大きな変化があった。大方これが原因だろうとは思うが、じゃあこれどうした方がいいんだろうというのが良く分からない。

あとそもそも中高の思い出がやや希薄に感じている。量はそこそこあるけど、感情があまり強く伴っていない?それも何か違う気がする。焦燥だけが比較的はっきりしていてそれ以外が薄い。伴っている感情が少し単調になっているというのが恐らく正しい。中高から現在までのこの自分、これ、何?

小学校時の自分を細かく刻んで分けて、それから中高の自分の人格の中身をはっきりさせた上で、最後に全体をちょっとづつ統合していけると良いかもしれない。


ARC113に出た。まさかARCでDまで早解きのセットになるとは思わなかった。

Aに思いのほか苦戦してしまった。調和級数の知識がスパッと取り出せなかったのが大きい。

BもWAを出してしまった。無理にmodintライブラリを使おうとしたのが間違いだった。

C,Dがむしろ楽しくACできた。そう難しくないけどややアドホックめな感じの問題は丁度良く脳トレになる感じがして好き。

一応30分余ったので、ローリンガールを聴きながらEの考察にも挑んだがさすがに無理だった。

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