2021/10/6(水)

デンタルフロスというものを初めて使ってみた。構造上必ず口の中に手を突っ込む必要があるので、ちょっと使い方が慣れないと難しそう。あと、当たり前かもしれないが歯間には効果的でも歯面には全く使えない。


ジョギングした。体力戻したい。


昨日の腕立ての筋肉痛が来ている。


ビヒダスアロエヨーグルトを久々に食べたら美味しかった。

しばらく前に森永アロエヨーグルトを久々に食べたときに「あれ…アロエ少ない…」と感じてしまったので、こちらで食べ応えのあるアロエを摂取出来てとても満足した。

ちなみに、(何かをほめる時に別のものを引き合いに出して下げるの良くないよな)と思いながら上の文章を書いたのだが、ビヒダスも良く見たら森永食品だった。じゃあ遠慮は要らないな。(何の?)


人を信じて仕事を任せることをようやく覚えつつあるかもしれない。自分は高校の部活でも大学のサークルでも失敗して多くの価値ある人に多大な(時には取り返しのつかない)迷惑をかけてきた。自分ただ一人という人材が育つために払われた代償がでかすぎる。

高校受験以来、自分は能力の高い人が多い環境で育ってきた。なぜならば自分は学力が(少なくとも平均より)高く、ゆえに同様に学力が高い人間の集まる場所にいたからだ。

そういう場所に行ってすら、自分の能力的な上位互換というものはなかなか居ないが、しかしそういう場所に来る屈強な頭脳をしたやつらは自分程度の言うことはちゃんと説明すれば理解できるだろうし、自分はもっと丁寧に後輩を育てることが出来たはずだし、もしかしたら同じ風景を見て一緒に進むことも出来たかもしれないと切実に思う。それには「どいつもこいつもやれば出来る、任せれば出来るようになる」というそれだけのことを信じられるようになるのがあまりにも遅すぎた。

自分にしか出来ないと思い込んでタスクを進めるから本当に自分にしか出来なくなっていって、最後にタスクに塗れて潰れた自分と手持無沙汰な仲間、そして継承の途絶えた組織が残る。もう繰り返したくない。

せめて大学(学士)最後の1年半は、もっと善く生きたい。

(追記)改めて考えると、自分は任せるということをずっとはき違えていたように思う。

任せた以上はその人の仕事に一切のケチを付けてはいけないと思ってやってきて、そしてデザインだの設計だのにケチを付けたくなるから「じゃあ自分がやる」となることを繰り返して来たのだが、それは間違いだった。自分には「それは失敗に見えないかもしれないし、ちゃんと目的を果たしているように見えるかもしれないが、やはり失敗なのだ」ということが見えているのだから、それはケチをつければ良いだけの話だったのだ。

意見が違えば議論すれば良いし、任せた相手が何も考えずそうしているのならばそこを指図すればいい。それだけのことに気づけずにやってきた。

話は変わるが、自己矛盾☆のオーディションと制作過程は改めて考えるととても合理的なやり方だなと思う。まず主催が表現する目標を明確に決めている。それに向けて仕事を任せるが、リテイクややり直しは何度も何度もするから覚悟してねと事前に言い切る。自分もやりたいことが割と明確にあるタイプの人間なので、気に入らなかったらあーだこーだ言えば良かったのかもしれない。

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