昨日の夜スプラをやりまくってBぷよS級リーグの動画を遅くまで見すぎたせいで寝坊して1限をとばした。
うん。ダメ人間だ。ダメ人間なのだが、妙に自分に対して安心してしまった。
ここ最近なにが好きなのかも良く分からない、何もできない何もしていない人に成り果てているという自己認識だったから、ゲーム好きのダメ人間という何かしらの「らしさ」を回復したことになんだか妙に安堵してしまった。
ずーっとぼーっとしていた。ここ最近は寝るときも考えが頭をめぐって止まらない。そのくせ手は動かない。手が動かないなら、せめてぼーっとするのは大事だ。
頭がすっきりした状態を作りたい。
実験講義で大学に行った。緊急事態宣言下で電車に乗るのは気が引けるが、今後横ばいか悪化する可能性も考えれば、下手に後日にしてもらうよりか今行ったほうがましだ。まあ、本当は単に欠席連絡を打つのが面倒なだけだが。
帰りに友人と会話をした。工作系のことをやっているサークルはずっと大変なようだ。
ジョーゼフ・キャンベル「生きるよすがとしての神話」読了。
グロフ博士やジェイムズ・ジョイスが言ったという出生の段階?というのが、なんかニーチェの言う人生の3段階(ラクダ、獅子、嬰児)にちょっと似てるなと思った。あと最近「すばらしい新世界」を読んだところだったので、ハクスリーの名前が出てきて驚いた。
「仏教のブッダやヒンドゥー教のヴィシュヌが何度も生まれ変わるのに対し、キリスト教のイエスキリストは一度だけということになっているから困難に直面している」という話題には膝を打った。これは自分がずっとけもフレで考えている問題意識とかなり似ている。「サーかばは永遠」という言葉があるが、名前を付けられたキャラクターは一回性の性格を持つ。普遍的なその意識とその価値は間違いなく永遠だが、一回性のそれに対して永遠と言ってしまうと同様の問題が起きる。だからあれが個人的にはあんまり不用意に言えない。
読み終わってみて全編に共通しているのは「人間には神話が必要だけど、古いやつって今の世界観に合ってなさすぎるから新しいの要るよね」という話題だった。
あとキャンベル、「世界はそもそも1つなのだ」的な話すごい好きだね。
ふと夏目漱石の「三四郎」をちょっと再読した。外面と中身の話について広田先生が面白いこと言ってたなというのを思い出したので。
七章で偽善家と露悪家がどうこう言っているのが記憶のそれだった。露悪をやり過ぎて不便を感じたときにまた利他主義が復活する、という意見が面白い。今の自分はどっち側だろうか。
話の中身と関係ないけど、ふっと我に返って「何を話していたのかな」というところで初見時は吹き出してしまった。深みのある話に唐突にこういう滑稽があるから漱石は好きだ。
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