2020/12/31(木)

・今日は14時まで寝ていた。今日は寝るだけ寝ようと思ったとはいえ流石に寝すぎて気持ち悪い。というか、これ以上寝るべきか流石に起きようか迷う時間が気持ち悪いのではないかと思った。過剰に寝ようと決めるにしても「寝るだけ寝る」ではなく「12時に起きる」と決めるのが良いのではないかと思う。次回参考。

・縄跳びをやった。前飛び150回前振り飛び150回。やっぱ息切れる。
軽い跳び方をしていれば有酸素運動なので連続的に続けてられる程度のキツさのはずなのだが、軽い飛び方をしていると引っかかってしまう。それで高めに跳んで疲れる。たぶん単純に運動神経がにぶい。

・今日は羽目を外そうと思っていたのだが、朝に予定を決める習慣を2,3日ゆるく実施しただけだというのに、明確な「今日の予定」が存在しないという状況が早くも気持ち悪く感じられるようになっていた。決めた予定を守れるようになるかどうかは微妙だが、朝に予定を決める習慣自体が途絶える心配はなさそうだ。むしろその場その場のノリで自律して行動するという行為が出来なくなる可能性の方が問題かもしれない。
迷うことにはエネルギーを使う。徹底的に考えて迷い尽くすには体力が要る。その体力はどうすれば鍛えられる?
その場その場で考えを尽くすには瞬発力が要る。その瞬発力はどうすれば鍛えられる?

・気まぐれで久しぶりに初代スプラトゥーンをやった。めちゃくちゃに過疎だったと思うのだが今日は割とよくマッチングする。年の瀬だからだろうか。
遊び慣れているし楽しいのだが、何故か何度やっても妙に疲れる。今一つ理由が分からない。マッチングの時間が精神的に疲れるのか、分かりやすい明確な腕の向上の方法が分からないのが辛いのか、それともオンラインゲームであること自体に起因する画面の向こうの人間の存在に疲れているのか、良く分からない。

・世の中の事情にあまりかかずらわない(ように心がけている)自分だが、年越しにはなんだかんだ世間と同じようにそういう非日常の気分になる。つまり何かと何かの境界に今いるという気分だ。
しかし年が変わることを意識すればそういう気分になるが、いつも通りのことをすればそういう気分は忽ちに消え失せる。どうやら、少なくとも自分にとっては、この手の気分はある程度制御可能らしい。であればどうするのが正解だろうか?
それはつまりこの場合、去年と今年の間に、気持ちの上で何らかの境界を築くべきかどうかという問題になる。
境界というもの自体は必要だろう。境界が無ければ去年も来年も、明日も昨日も無くなってしまい、全てが平坦になる。生活にメリハリのリズムを作るためには、また自分の人生を言葉で語ることの出来る(分節できる)物語にするためには、何らかの境界は必須だ。ここは確信している。
問題は、なぜその境界は12/31と1/1の間に存在するべきであって、1/1と1/2の間ではいけないのかということだ。世間と交流を持たず、また自分で適切な境界を決定して築けるのならば、世界で採用されている暦に無理をして合わせる必要性はない。例えば「来年になったら頑張る」と言って来年になるまでものを頑張らないのならばそれは愚かだ。
これに対する答えとしては、やはり他人と全く関わらないのは不可能である以上、自分に溶け込んでいる他人の成分はゼロでない。ならば境界を作成するにしてもその成分を利用した方が自然であり、その具体的な方法として他人と同じ境界の認識を行うのが最適である、ということが考えられる。
ただしやはり先に述べたような例え(「来年になったら頑張る」と言って来年になるまでものを頑張らない)のような事態を避けるためにも、世間の暦と同じくらいの存在感を自分の中で持っているような自分の暦があった方がいいのではないかという気がする。というかそれ単に通年予定表を作ればいいのでは…(書いていて気付いた)
毎日今日の予定を立てているみたいに、土日に一週間の予定を立てる運用は良いかも知れない。またn週間に一度次のn週間の予定を立てるとか。セマンティックと言う感じで良さそうだ。スクラムというのをカイゼンジャーニーでやったな。
自分はやりたいことはいっぱいあるが今まで何もやってこれなかった。陳腐な言葉だが心機一転するためにも時間に境界を築こう。一応そういう気分になってみよう。
境界を作り、それを通り抜けるためには儀式が必要だ。人々は紅白やら何やらをそれに据えているのかもしれないが、集団迎合は苦手だ。何か個人的な儀式が良い。何にしようか、もう眠い……

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