2020/12/17

・のんのんびよりの1巻を買って読んだ。素直にはまった。こまちゃんと蛍好き。特に二人で駄菓子屋行くエピソードが気に入った。
もちろんそれ以外のキャラも好き。影薄い人はかわいそう。
ネットミームで知ってた「ウサギガニゲテル!」は原作で言ってないのでびっくりした。

・キノの旅(漫画版)の1巻を買って読んだ。名前は聞くけど中身一切知らなかったのでこういうやつなんだーって感じだった。

・「ボクたちのBL論」第一章まで読んだ。BLの何が良いのかについて存分に基礎から語られているのだが、自分は主に「BLってどういう根っこの文化なんだろう」という部分が気になって買ったので、それの割と明確な答えが出てきたのは中々読んだ甲斐があった。
自分なりに(乱暴に)要約すると、男性の世界には様々な種類の関係性がある。一方女性の世界では好き・嫌いの二元論的な関わりが主で、女性の認識世界において対個人的な深い関係性の概念と言うと恋愛に絞られる。そして女性は恋愛話に目が無い。
BLは男性の世界を女性の認識の世界で翻訳した結果の産物であると。
著者の名誉を保つために言っておくと、上記のような男性性・女性性はあくまで「ざっくりした暴論」であると注意した上で言っている。そして男性にも上記のような女性的な思考回路(本書では「乙女回路」と表現している)が眠っていて、それを目覚めさせることで男性もBLを楽しめるという。
気になっていた、男性同士が必須要件である理由についても色々語られていた。あんまり引用してもあれだが結構重要なポイントがいくつか語られていて割と納得した。気になる人は買って読むと良い。
男性の性に関する関心と言えば結婚やセックスなど身体的で単純な部分ばかりだが、女性の考える「恋愛」は精神的な部分に重きがあり、そこには複雑な世界がある、という対比もなかなか感心した。
ちょっと考えたこととしては、素朴な男性がBLを読めば大体嫌悪感を抱くが、それは女性の認識によって翻訳された世界自体が気持ち悪いわけではないのだと思う。女性は男性の関係性を恋愛に翻訳してしまうが、男性がBLを読めばそれはやはりまた男性の認識世界によって翻訳されることになる。性=結婚・セックスの世界観によって。つまり翻訳されたもの自体ではなく、男性の認識によって「再翻訳」された世界が気持ち悪いのだろうと思う。
翻訳ではなく再翻訳によって気持ち悪くなる、という分析の枠組みは中々応用が利きそうだと思った。この本関係ないけど。

・腕立てしてから2,3日経って未だに腕の痛み(違和感みたいなレベルの感覚だけど)がゼロにはならないので、筋肉痛ってそんなに長く続くやつだっけ…と思ったのだが、どうやら軽くストレッチをしたら治った。マジかよ。
ググってみると筋トレ後にストレッチをすることが推奨されていた。あーあ。柔軟も習慣づけてるのになんでこの発想が出なかったんだろうなあ。理由は明白で、脚・股関節周り以外の柔軟は全くやっていなかったから。
それからちょっと驚いたのだが、別に筋肉痛が起きている最中にトレーニングをしても問題ないらしい。多分四六時中トレーニングしているような極端なやり方をすればそれは当然筋肉が落ちていくのだろうが、筋肉痛が終わるまでトレーニングをしてはいけないということでもないようだ。まあ、なるほどね。
明日の朝また腕立てする。

・諸用で大学に行った。同級から感染者数の話を聞く。えらいことになっているらしい。それでもカリキュラムと成績の都合上対面講義を零にはできないから大学へ来ている。
その同級と雑談で、「同じ班とかクラスとか向こうで決めてしまって欲しい」「一般論として大学は高校以下より、そういう部分を学生の勝手に任される傾向にある」という話をした。
ある程度の強制力を持った関わり合いの生成というものは、あれは暴力なのだが無いと寂しいものでもある。そういえば最近サークルの後輩とも似た話をした。仕事などにしても、何かしらの強制力が無ければどんどん虚無へ向かってしまう。それでもなお、自分を駆動できる何かを持つ強者と言うのは世の中に居るが、それは多数派ではない。自分も多分そういう性質ではないと思う。
暴力なしには生きていけないし、暴力を受けることなしにも意外と有意義には生きてゆかれない。
帰りの電車の車窓から新橋駅のプラットホオムを見た。自分は新橋駅のあの、低い天井が好きだ。ちまいから好きなのではない。ちまいものを内から見上げるから惹かれるものがあるように感じる。

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