今日解いた競プロの問題。
ABC225-E: 「四角形が重ならないように」ということになっているが、要するに視野角範囲が重ならないようにという話になる。1次元の中の区間が重ならないように出来るだけ多くの区間を採用するという問題になるので区間スケジューリング問題になる。
偏角の比較のために$y/x$をlong doubleで保持したのだが、どうやら精度が不十分らしく一部のケースでWA。ちゃんと$p_x q_y < q_x p_y$で比較したら通った。
ちょっと間を空けてしまったが筋トレをやった。今日は腕立て。
久々に動物園に行った。たまたまペンギンのえさやりに遭遇した。
散歩した。また一つ知らない道を把握した。
酒井順子「男尊女子」を読了した。
「女子」の章で説明されていたが、「女子力」の語はもともと半ば冗談として、自虐的な言及で主に使われていたという話が出ていた。こういう内輪の人間でないと知りえないような文脈を説明してくれるのは非常に助かる。筆者の世代と今の若い女性の世代ではある程度語感が違うだろうとは思うが。
最後の方で「自分の中の男尊女子を完全に消す勇気はない」みたいなことを言っているのがとても誠実に感じた。ネットで「私のジェンダー観が絶対に最新で絶対に正しく世の男は早くこれにアップデートしろ」みたいな感じのフェミニストをさんざん見てきたので、この著者の「自分の中にもそういう『男尊女子』成分があり、完全に消すにも至っていない。それはどうしても仕方ない面もあるが、将来の世代にもっと新しい価値観を期待することはできるだろう」といった感じの結論は、とても謙虚かつ希望を持った良い姿勢に感じられた。自分を歴史の中で相対的に位置付けられる人は本当に強い。
「男尊女卑的なあり方は両者が納得の上でやるなら別にいい」という考え方もちょっと目を引いた。言われてみればまあ思想の自由というものがあるのだから当たり前と言えば当たり前だな。どういう関係性を築くかなんて個人の自由なのだから、納得の上でプライベートな場でやるのならば男尊女卑だろうが男女平等だろうが女尊男卑だろうが好きにやればよい。子供が出来たらまた事情は変わると思うが。こういうあたりの思考の柔軟さは見習いたい。
巻末解説を山内マリコという人が書いていたのだが、酒井順子氏に比べると多少過激な人だった。(酒井氏が物腰柔らかすぎるだけな気もするが。)フェミニズムをやるとどうも社会運動的な精神性に接続されてしまうものなのだろうか。まあ男尊女卑が激しいところは本当に激しいから、ちゃんと学んだ人は危機感を(無学な人からすると奇妙に見えるほどに)持つというだけの話か。
参院選の政党選びの補助として投票マッチングなる特設ページがあったのでやってみた。割と2位に差をつけて国民民主だった。
https://sangiin.go2senkyo.com/votematches/
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