2024/8/7(水)

大学でサークルの友人たちと食事をした。


衛藤ヒロユキ「がじぇっと」を読んだ。俺がやりたいこと全部やられてるとしか言えない。以下ネタバレ注意。

主人公の父が息子に「お前にしかできないことだ」つって仕事を託すのは明らかにロボットアニメの文法なのに、その仕事は”みんなにヒミツの超常的な存在”を通して身近な少年少女の悩みに向き合うことで明らかに魔法少女ものの文脈だから気が狂う。グルグルでも思ったけど、衛藤ヒロユキは少年向けコンテンツと少女向けコンテンツの合一を斜め上の角度からLv100の正拳突きで放ってくる。

そして最終幕で「ヒミツの存在」である”がじぇっと”はまさに社会の象徴とも言える渋谷のど真ん中に降り立つのでもうやりたい放題だ。というか主人公PTと全く別の線から最終決戦始まるのマジで何?????

東京の街を丸ごと”がじぇっと”がひっくり返すのは、グルグルのアラハビカ=パンフォスを彷彿とさせる。個人の心の問題がデカいものと直結するのはセカイ系に近いものを感じないでもないが、街単位に留まるのでやっぱり決定的に違うように思う。むしろ個人の心の問題と、社会のみんなの問題が地続きであるみたいな、そういう祈りを感じる。

「兵器」の話は初見なんだかよく分からなかったが、何度か読み直す内にぼんやりつかめてきた。「人の役に立つ道具」の対置としての「人を傷つける道具」であり、それに至らない道を機械自体が探してくれたら…というお話なのだ多分。それでも最後のがじぇっととして銃が出来てしまったのは悲劇であり、しかしそれと同時に「リセット」がかかったのはがじぇっとに内在する良心の証明でもある。みたいな解釈でどうか。そういう両義性好きよ。

ヒトミはなんだったんだろうなぁ。正直自分の中で位置づけられていないが、やっぱりあの子もストーリー上欠かせないように思われる。単なるみのりの当て馬ではない。

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