スプラトゥーンのプレイとボイロ動画の視聴で一日を潰してしまった。まあ楽しかったからいいや。
ボイロ文化圏は今までちょくちょく目にしながらもあまりはっきりと認識していなかったというか、今まで自分はボイロ動画を視聴する際、ボイスロイドを解説なりゲーム実況なりにおける「プレゼンテーションの手段」としてしか認知してこなかった。しかし「ボイロそれ自体を一種の目的としている」という目で見てみると大分違うものが見えるなあということに最近気づき、それ以来動画漁りにはまっている。
例えばゲームのボイロ実況というのは、ゲームあるいは自分のゲームプレイのプレゼンテーションが主目的かというと必ずしもそうでなく、ボイスロイドキャラクターの雑談や掛け合いが主コンテンツだったり(実況しろ)、ものによってはボイスロイドキャラクターの作るストーリーが主軸だったりする。後者はむしろキャラクター二次創作に近く、もはやゲームの方が手段に見えることもある。
ボイスロイドを完全に「プレゼンの手段」として利用している動画、そして逆に完全なストーリー仕立ての「ボイスロイド二次創作」と化している動画、という両極端はそれぞれとても分かりやすい。問題は中間で、投稿者とボイスロイドキャラクターの人格が絶妙に接近しつつ重ならないような微妙なあの雰囲気を真面目に解釈するとしたらどんなもんかなあと思う。Vtuber文化とかとも絡めて頭のいい人が既にいろいろ語っていそうではあるが。
あと、支援絵とかの文化も少し分からないところがあるなあと思っている。具体的には、「支援絵を送られたら多くの場合どういう感情になるものなのか」「支援絵を描く人はどういう感情と欲求のもとに描いているのか」辺りが良く分かっていない。支援絵というものは「(対等な立場としての)企画への自主的な制作協力」として解するべきなのだろうか?支援絵という名前的にはそれが正解っぽく感じるが、実質的には「ボイロ二次創作」に対応した「三次創作」として解釈するのが自然な気もする。良く分からない。
鬼トレはやったが筋肉体操はさぼってしまった。明日は腕立てやるぞ。
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