気が散って勉強が全く進まんのでPCを閉じてみた。紙にやることを書いてからPCを開いて、それを達成したらPCを閉じる、みたいなことをやった。
大変久しぶりに近所の図書館というものを利用した。図書館の利用カードの期限が切れていた。年単位で利用していなかったらしい。ちょいちょい立ち寄ったことはあったかもしれないが、最後に真面目な目的で利用したのは小学生くらいの時だった気がする。
改めて地域の図書館というものを見てみると、専門書の類の量と質は当然大学の図書館などに及ぶべくもないが、地域のことに関する本というのはかなり多く入っているらしいということに気づいた。
図書館というのは単純に大きい図書館であればあるほど良い知識が手に入るものと思っていたが、郷土資料の類を目的にする場合となると地域の小中規模の図書館に一定の利があるのかもしれない。
「軍神ちゃんとよばないで(1)」「ステラのまほう(2)」「微熱空間(1)」「不滅のあなたへ(1)」「芸術科アートデザインクラス(1)」を購入した。教養くらいの考えで試しにきらら系を本棚に入れていたが微妙に比率が増えてきてる気がする…
芸術科アートデザインクラスは普通にためになる話がちょいちょい出てきて参考になった。
最近どうも気分が優れないというか、ものを考えたり何かビジョンを見る能力が低下しているなという感覚があるのだが、原因の一つとして今やっている作業の大目的を忘れがちになっているという気づきがあった。例えば電子工学の講義の課題をやるのは 電子工学に関する知見を学ぶためで、「良い成績を修める」とか「課題を何とかする」という所与の目的があるわけではない。
一番最初に意味を感じている大目的を忘れると自分が今やっていることの意義が分からなくなる。意義が分からなくなると感情が伴わなくなり、感情の伴わない記憶は余計忘れやすくなる。悪循環だ。
とりあえず大目的を意識するように心がけてみている。
あと、単純に絶対的な記憶能力と思考能力が衰えている気がするのだが、これもその余波だろうか?それともこちらが原因だろうか?頭に大きい情報をまるっと入れるのが難しくなっている気がする。遠い点と点を繋いで考えるのも紙がないと出来なくなっている。普通にきついんだが。
グーパー体操をしたりウォーキングをして血を回す、甘いものを食べて糖分を補給する、水分補給をする、みたいな身体方面の量的・物理的な方法で治まるのか、それとも何かしらの精神的な、質的・論理的な部分に何かしら治す必要のある原因があるのか、謎だ。
このはカレンダーをめくった。7月の絵結構気に入ってたので名残惜しい。水着だけどあんまり露骨じゃなく爽やかにかわいい感じだったので。
8月も引き続き夏っぽいやつかな?と思っていたが、何やら湖畔の風景だ。旅行や帰省でどっかに来ている感じの想定だろうか。この人、憂いを含んだ感じの表情とかできたんだ。
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