唐突にコレッリ・ラ・フォリアを聴きたくなったあとツイッターを見たらIbが9周年という情報が流れてきた。謎のシンクロニシティ。めでてぇ~
というかIbの作者氏ツイッターやってたんだ…
昨日の日報をまだ書いてなかったので書こうとしたところ、「昨日何あったっけ」という思考が出てきてびっくりした。
何を言ってるか分からねーと思うが、ここ最近昨日も今日も境目が良く分からない状態が続いていたので、「昨日」という概念が自分からすっと出てきたことに大変感動してしまったのだ。
ひかえおろう、俺は健康への道を着々と進んでいるんだぞ
Rubyを勉強中。H2Oのmrubyで使いたいので学ぼう学ぼうと思いながら放置していたやつ。
classやmoduleもオブジェクトの一種でしかなく、クラス定義は結局変数束縛の一種である、というところがちょっと面白かった。スクリプト言語だと割と自然な仕様なのかな?
正規表現リテラル周りがちょっと怖い。というのは、文字列のダブルクォートがスラッシュに変わった+末尾オプションが付いたと考えれば別に文法は大して難しくないのだが、スラッシュは割り算のために使われるイメージだからそこであいまいさが発生しないのかが気になる。冷静に考えてみると、割り算のスラッシュだったら変数名か数値リテラルの直後でないと現れ得ないから混同しないのか。なるほど。ああ、だからxとかoとかのオプションは末尾なのね。先頭にあったら今度こそ曖昧さが発生することになる。
配列リテラルは角カッコ[]で連想配列(ハッシュ)のリテラルは波カッコ{}らしい。近いのはJSONか。
unlessなんて制御文があって笑った。ifでええやん。pythonとかの哲学に照らしたら助走付けてぶん殴られそうな言語仕様だと思った。確か「動く疑似コード」がrubyの目標だから、自然言語的な感覚で読みやすいなら導入しちゃえという方針なのだろうか。whileに対するuntilもあるのかよ。
制御文が基本的に式としても機能するというのがC++畑の人間としてはちょっと気持ち悪い。
ブロックというのがまた変な仕様だなと思った。ラムダ式さえあればあればいいのでは?と思ってしまうのと、なんで引数リストを()ではなく||で囲うんだろうという点。別に覚えてしまえばそういうもんかという感じではある。
80プペルの記事とその関連を読んだ。さいとうしほ氏が初手で謝っているのが見てて痛々しい。(この記事)
自尊心の低い人ってときどき全ての原因を自分に帰してしまう場合があるんだよね。自分がそうなのだけど。
周囲の人はもっと広い視野で、大きい部分(例えば会社だとか、組織だとか、界隈の構造そのものだとか)に起因する問題を批判しているのに、視野が狭くなってしまうとその大局的な問題部分に目が行かず、もっと言うと問題が大局にあるという発想すら持てず、「自分」という局所的な部分に全ての原因があって大変な事態になってしまったのだと思ってしまう。
そうすると、自分が謝れば済む、自分が責任を取れば済む、少なくともそうすればそれ以上の延焼は免れると思ってしまう。実際には何一つその人が謝って済む問題でもないし、また同時にその人が謝らずに済む問題でもある。解決策は別にあって、少なくともそれはその人個人がどうこうというものではない。
でも往々にして当事者がそれを認めることは難しい。自分が下げられるのは堪えられるけど、自分の信じているものが批判を受けるのは堪えられない。聞こえは良いかもしれないけど、結局自分の信じていた世界観が揺らぐのが怖いという話になる。
もっとえげつないこと言っちゃえば、自分で責任を取るってカッコいいし、お手軽に何者かになれるんだよね。だから謝るのに抵抗が無いと意外とやりたくなっちゃう。本当は必要と最適に応じて(というか倫理に照らして)やったりやらなかったり出来るのが理想なのだけど。
この人に何か意地悪なこと言ってバグらせようと思ったら何だろうな。「信じるものを西野氏の言葉から違うものに変えるというリスクをとる勇気はありますか?」とかどうだろう。
Bぷよをやった。ペチファイア速度9から中々本数がとれない。
そもそも速度で負けてるからというのが大きいとは思うのだが、一度お邪魔が降って盤面がごちゃついた後そこからペチに強い連鎖を組む能力がないというのが問題のような気がしてきた。これは仕方ないのか?
ABC193に出た。ちょっと眠い状態で挑んだので昼寝でもしておけばよかったと思った。
Dは中々久しぶりの実装問というか全探索で面白かった。なんとか書けて良かった。
Eは解けなかった。まずそもそもどういう形でデータを管理して計算すればいいのかが分からずにうんうん唸っていた。範囲が関わってきたのでどうにかして正しいポイントを算出しようという方向に頭が行ってしまっていたが、やりにくそうな問題なら全探索すればいいという思考が完全に抜けていた。正直この部分は眠くなくても辿り着けていたかどうか怪しい。
範囲という扱いにくい物体をどうにかしようとして、「範囲の中心の座標と範囲の大きさ」にして距離の話にするといったことをしていた。点が2個だったりすればあるいはそういう単純化が大いに役立ったかもしれないと思うが、点が無限個ある以上はあまり意味のない考察だった。
どうせ整数しか扱わないのなら、範囲は有限個の点の集まりにバラせるという単純な部分に気付けなかった。言われてみれば500以下とか意味深な制約がある。油断すると未だに全探索の思考がすっとぶ。自分はどうにもこの辺の思考が弱いのかもしれない。
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