胎界主を読んだ。本当に最悪の領域が展開されている。あけみが一番真っ当かな…
ダーヨ6つ子が2コマに渡ってコピペされていてさすがに笑ってしまった。
rustでWebAssemblyの環境を整えたいと思ったのでwasm-packを入れようと思ったのだがなぜかエラーが出る。
最終的にStrawBerry Perlを入れたら上手くいった。内部的にopensslのビルドが必要で、そのためにPerlが必要らしい。一体どこでPerlが必要になるのかはよくわからない。ちなみに何故かActivePerlでは上手くいかなかった。
rustによるdllの作成とlibloadingクレートによるdllの読み込みが上手くいった。思ったよりすんなりできた。
モジュール内の関数をエクスポートしたりすると接頭辞が付いたりするのかと思ったがそんなこともなく、普通にそのままの関数名がエクスポートされるらしい。
libloadingでのdll関数読み込みと呼び出しは少し面倒。大した行数を書く必要はないのだが、Cにおけるヘッダファイル相当のものが欲しい。
鬼滅の刃の22,23巻を読んだ。これにて読了。結びはなかなかまあ可もなく不可もなくまとめたなあという感じだが、戦闘の過程での情報の出し方の技量がはんぱない。
刀を赤くする方法が本当に強く握るだけだったのは、驚くと同時に拍子抜けしてしまった。でも霞柱が赤くしたときはもう呼吸とか出来る状態じゃなかったし、人間の肉体で出来ることは刀を握るくらいだったから推論で到達できたはずなんだよな。説得力しかない。この辺の設定の上手さは普通に負けたとしか言いようがない。
でも決戦より前にこれ明らかに出来てたらめちゃめちゃアドだったはずだよね…っていう感想が先に来てしまう。縁壱の時代に明らかに出来てれば良かったんだろうけどまさか「すごく強く握っている」だけなんて思いもよらなかったんだろうな…という感触。これ原理さえ分かれば鬼滅世界の技術力なら「柄に常時圧力がかかっていて常に赤い刀」とか絶対作れたと思う。ちょうど大学の講義で歪シリコン(張力をかけることでトランジスタの特性が改善する)とかをやっているので何となくそれを想像した。
炭次郎がまた刀投げててさすがに笑った。やっぱりお前は投げを極めろよ!
無惨がデカい胎児みたいな姿になったシーンは珠世の「生き汚い」というフレーズがめちゃめちゃに刺さる。もういい加減にしろという感想が嫌でもひねり出される見せ方だった。目覚めた炭次郎の独白シーンで「心を燃やせ」の言葉と共に炎の鍔が映されたり、冨岡と炭次郎の二人で無惨に刀を突きたてるシーンで「滅」の字の刀が映されて「鬼滅の刃」のタイトルを想起させたりとか、絵面に語らせる技量がシンプルにすごい。
無惨はやっと日に焼かれて死んだけど本当に最期までクソだな…
一度日光に焼かれて死んだあと「私を置いていくなァァァ!」でもう一回負けるのはおそらく、肉体的に滅ぼされた+想いも滅ぼされたという描写という解釈で恐らく合っていると思うのだけど、さんざん「想いは永遠」を擦った上で無惨の想いは秒で消されるのは
- 永遠なのは善なる思想だけ、クソみたいな思想は滅べ
という解釈と
- 人の他者に対する切なる想いのみが永遠。無惨お前はずっと一人よがりの一人っきりじゃねーか
という解釈があり得るなあと思った。前者だとしたら「善なる思想って何だよ」になるから多分後者なんだろうと思う。もしかするとちゃんと読めば「思い(=個人的な思想、鬼滅では善とも悪とも定義しないし永遠とも限らない)」と「想い(=他者の幸福への祈り、鬼滅世界では絶対善であり永遠)」で使い分けられていたりするかもしらん。
アカザとかもそうだけど、「至高の領域に辿り着きたい!」とか「永遠を生きる究極生物って素晴らしくない?」とか、あるいは「女は16歳が一番美しい」とか「父母が子を、兄姉が弟妹を守れ」みたいな、何か特定の人間や人間関係を超越したところにある思想や信仰は基本鬼の方が持っていがちだよなあと思う。個人的にはそういう超越的な思想者(悪く言えば極端な原理主義者)が割と好きなので、その辺正直肌に合わなかった感がある。ただ「想いは永遠」だとか「道を究めた者が辿り着くところは同じ」もやっぱり一般性のあるテーゼなので、超越的な思想自体を完全に否定することはしていないというか、諦めてる印象がある。炭次郎の鬼適性が超高かったのにも納得感が強い。多分産屋敷の爆死した方の人とか、あと縁壱とかも鬼適性クソほど高かったんだろうな~と思う。
全体読み終わって思ったこととして、「想いは永遠」を軸に良い感じの訓示っぽくなってるけど危うさはあるな~と感じる。
「大事な人に生きていて欲しい」っていうテーマがこれはこれで一貫されているのでカモフラージュされてるけど、「ただ生きているだけでは意味はない、善く生きろ、そうでなければスパッと死ね」みたいなサムライ思想が結構強火で焚かれている気がする。どこまでも生にすがる無惨が醜いのはそれはそうなんだけど、「生きていればいつかどうにかなる」という思想の獪岳とか、単に生きていたくて親を殺してしまった累も冷遇されてるのはちょっと飲み下せないものがある。大正時代に当たり前のように切腹がまかり通ってるの、割と間違いなく異常者の集まりだろ。「鬼絶対滅ぼす」は正しいけど、「身内から鬼が出たら自害する」は、違うだろ。
とりあえず全編通してかなり良くできた作品だったのは間違いないと思う。単なる熱血じゃなくてしっかり理屈に基づいて頑張るのが徹底されてるところは普通に好きだったし、想いを繋ぐ的なテーマについても単にそれっぽい良い話を並べるのではなく、終盤で割とそこそこ深堀りしていたのが好感触だった。
Categories: 未分類