2021/10/29-31

某大学のイベントの運営で馬車馬になって働いていた。

自分は中学、高校、大学ときて、驚くべきことに「みんなで力を合わせて頑張って何かを成功(もとい完遂)させる」という体験が本当になく、今回が初めてだったように思う。本当に良い経験になった。

今までもそういうのがないではなかったが、基本「誰かが頑張っているのを応援する」か、そうでなければ「自分一人で全てを頑張って成功させる」でしかなく、とどのつまりは自分と他者は断絶されていて「みんなで力を合わせて」というものではなかった。

この種の体験をすると、「たくさん迷惑をかけて申し訳ない」「みんな頑張ってくれてありがとう」という気持ちになり、心地の良い一体感が生まれ、(錯覚かもしれないが)仲間内での意思疎通能力が高くなったように感ぜられる。自分で自分の気持ちを記述しようとするとそうとしか言えなくなる。こうなるのが善いとか悪いとかとは別として、一つの事実としてというか、客観的に近い主観的事実としてそのようになる。恐らく他の仲間も言動からしてこの感情に支配されていた。なるほど良い話っぽさはこういう感じで発生するのかと思った。

この種の感情の発生条件について考えたい。(あまり明確に定義できていないものを語るのはアレだが…)

  • 自分以外に「この人が居なければ成功していなかった」という個人がいる

これは間違いなく発生の必要条件の一つだろうと思うが、十分条件ではないだろうと思う。「誰かが頑張っているのを応援する」だけでは恐らく発生しないからだ。

  • 「自分が適切に動くことでもっと結果を良くできた」という自認がある

これ、意外と重要なんじゃないかと思う。「自分は完璧にやっていた」と自認している場合、「自分は完璧にやっていたのにあいつらは」となってしまうのではないか。一種の罪悪感を共有しているみたいな状況で互いに優しくなっているみたいなフシがある。そういえば人類学の本で「負い目」みたいなワードがあったな。関係ないやつかも知らんが、ちょっと再読しておきたい。

「自分は完璧にやった」「仲間も完璧だった」だとまたちょっと違う感情になるんじゃないかという気がするが、それを観察できる機会は今後あるかどうか。まあそうそうないとは思うが、大学にいるうちにあるといいねということで何かしら頑張ってみよう。

なんにせよここ数か月の多忙の大本が終わったので大分晴れ晴れした気分だ。未だに積んでるメイドインアビスでも読むか…


ブラム・ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」を読み進めた。ルーシー編完結。

吸血鬼の倒し方が具体的に描かれていてすごく良かった。

ただ、ルーシーの胸に杭を打ち込むのはめちゃめちゃに躊躇していたのに首切るのは割とさらっと流されてえ?ってなった。細かいところに突っ込むのヤボだけど。


29日にとうとうスマホがぶっこわれた。

起動しようとすると非常に長い時間がかかるか、もしくは「システムのデータが破損している」的なアラート表示が出て起動されなくなる。https://g.co/ABH を参照しろとか出てきた。初めて見た。

バッテリがへたってきたため、急に電源が落ちたりすることが多々あったのだが、その蓄積がついにOSのデータ破損に繋がったと思われる。通常動作時に落ちるならまだしも、起動中に落ちたりしてたらまあデータは傷ついて不思議ないわな。

初めて買ったスマホだったので、よくもまあ持ったなと思う。中学の時には持っていたと思うので都合6年は使ったはずだ。Motorola Nexus6、よく頑張った。

データの吸出しには難儀しそうだが、まあ重要なデータは写真と電話帳くらいのものだろう。

ちなみにsimカードを取り出してPCに刺したらそのまま使えた。ワーイ。APN設定とかはちょっと調べる必要があったけど、なんか棚ぼた的に便利なPCが爆誕した。


なぜかこのあたりの日はConoHa VPSでホストしているサイトにLTE回線からアクセスすると弾かれたのだが、何か障害でも起きていたのだろうか?アナウンスはなかったようだが。

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