最近人間にものを言うことにようやく慣れてきた気がする。「まあいいや、どうなるか知らんけどとりあえずぶつかっとこ」ということが常人の万分の一程度には出来るようになってきた。
縄跳びをやった。前とび500回。縄を短く切り過ぎて飛びにくくなっていたことが前回分かったので新しい縄跳びを買っていたのだがとても跳びやすい。
しかしこの縄100均で買ったものなのだがえらく重みがなく軽いので、速めに回していないとなんというか回り過ぎて回す手が空回りするような感触になってしまう。二重跳びでもするには便利そうだが。(できないけど)
腕立てをした。引き続き筋肉体操をやっているが今日は前回より早いタイミングでもう上がらなくなった。ええ~?
1日おいても回復が不十分だったとでも言うのか、それとも今回は前回以上に丁寧に負荷がかけれていたということなのか。
2~3週間くらい続けているが、なんか最初の2~3回以降筋肉痛らしい筋肉痛が来ないのも変だ。それよりも脱力感・疲労感を主に感じる。トレーニングをしたら疲れるのは当たり前だろうが、筋肉痛が来ないのはこれで良いのか?もうちょっと回復の期間を長めにとったり、あるいは食生活に気を付けたりするべきなのだろうか。それとも負荷の方を上げてしまっていいのかこれは?現状でも満足にメニューが完遂できていないのだから既に十分だという認識だったのだが。
サークルで色々働いた。こうして自己承認が仕事に依存し仕事が出来なくなったときに鬱になるのだ。
ジョーゼフ・キャンベル「生きるよすがとしての神話」を読み進めた。西洋人特有の妙に禅について熱く語るやつが炸裂している。
前にここで書いたか分からないのでメモ。前に斎藤環「生き延びるためのラカン」でざっくりとラカンの思想を学んだのだが、あれを踏まえて読んでみると胎界主の世界観はあまりにもラカンと相性が良くて、多分「胎界」=「想像界」、「生成世界」=「象徴界」、「原典」=「現実界」に対応している。(生成世界=象徴界は若干怪しいかも?)
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