日報の書き方を変えた。区切り線を有効活用する感じに。
久しぶりに多少まじまじとTwitterを見た。まあ、なんだろう、人がやっているなという感じ。とりあえずあけおめだけ呟いておいた。
もるの話題を取り逃していたのだけは痛い。
換気のため、いつも窓を夜に開けて朝に閉めているのだが、昨晩は窓を閉めたまま眠って朝に窓を開けた。割とこの方が調子がいい。体温が下がると眠くなるという話を聞いたので寝る前に窓を開けていたのだが、なんか暖かい方が良く眠れる風に感じる。今後要実験。単にたまたまかもしれない。
夢を見た。大勢で学校に集まる。自分も他の人もみんな俳句が書かれた赤い紙を持っている。各々自分で書いた俳句を持ち寄っているらしい。自分の紙には「ぼくたちは どうしてアルファを 残すのか」と書かれている。
学校につくと、その壁には所狭しと俳句の書かれた赤い紙が貼られている。各々自分のもののコピーをとってそれを壁に貼り付けている。自分もそのようにした。
人の流れに従い、校舎を出て体育館に付くと、2~3人の女の子が受付をしている。オリジナルの方の赤い紙を提示するよう言われるが、どこでなくしたのか自分はそれを持っていない。
自分はその旨を伝える。その時かかっていた音楽に合わせ、なぜかミュージカル調で歌にのせて会話を行う。問答が終わった後、受付の子は冷静に戻ってどうしましょうと言う。自分は探してきますと答える。すると、その場にいた全員が自分の紙を探す流れになる。
そして全員踊りながら各所の確認をしだす。全員綺麗に整列し、あちらよし、こちらよしと確認を行っていく。もちろん紙は見つからない。
その内自分は、普通に自分のポケットかどこかに入っているんじゃないかと思い始める。しかしぱっとは見つからないし、熱の入った踊りでヨシ、ヨシと繰り返す男衆を止める気にもならない。
終わり。
縄跳びをやった。前とび前振りとび各150回。
後ろとびというものも久しぶりにやってみたが、やっぱりだめだ。何年も前にやったときと同じで、縄を後ろに回そうとするとどうしても自然に腕が広がり縄が高くなりそして引っかかる。前とびの時と同じようにほぼ手首だけで後ろに回せればいいのだろうが、多分そのための回路が出来ていないんだと思う。腕が広がるのは良く分からないが。どう練習すればいいんだろう?片手ずつ回す練習をする?
昨日できなかった分の腕立てをやった。いっぺんちゃんと胸まで下ろす腕立てをしてみたのだが、胸まで下ろしてやると筋肉体操のあのスピードでは一切付いていけないことが分かった。一応途中までは頑張って喰らいついたが、若干動きは雑になってしまったし、最後の2回あたりはもうまともに腕が動かなかった。
多分これでは負荷もちゃんとかけられていないと思うので、次やるときは再生速度を落としてやってみようと思う。
Bぷよで階段積みが多少できるようになってきた。上1個/下3個の階段に上2個/下2個の階段をくっつけたりできることを意識すると、必ずしも綺麗な基本形通りの形にしなくてもいいことが分かってきた。
配ぷよが良ければ4ダブもたまに組めるようになった。流石に安定に出来ると言えるラインは程遠い(ただの階段5連鎖も結構失敗する)が、分かりやすい形が自力で組めるのはとても楽しい。
BぷよのサーバーがConoha VPSのWindows Serverで建てられることを確認した。
そもそもCentOS以外でのサーバーOSなどほとんど触ったことがないし、Windows Serverなんてもっての外だ。Windows Serverというものを一度試してみたいという気持ちもあってやってみた。
ちょっと苦戦を覚悟しながら触ってみたところ、まあ何のことは無くちょっとカスタマイズの違うWindowsという感じだった。Windowsの標準装備のソフトがあまりなかったりするが、それはそれとしてWindows用のソフトは普通に動くし、なんならBぷよ本体もプレイできる。
使うポートをファイアウォール設定で解放した上でBぷよサーバを起動してやれば普通に稼働した。Windows Serverに触れる機会などほぼ無いと思うので、仲間内でやるときに建てたりしてみようと思う。
ジョーゼフ・キャンベル「生きるよすがとしての神話」を読み進めた。東洋が何か大いなる存在との一体性を重視し、西洋が神と人との間に一定の距離を置き個人の価値を強調するというのはまあ分かりやすく確かにそんな感じよねと思った。
思わず笑ってしまったのは、西洋でキリストとして崇められているナザレのイエスは「私は神と一体である」という東洋的なことを口走って磔にされたという節だ。言われてみれば確かにそうだ。
今日の教えでは神とイエスは一体であり、人々とイエスは繋がりを持っているという形になっているが、イエスの教えを聞いた人たちは「そうだ、あなた様こそ神と一体の存在だ!」ではなく「えっ、じゃあ俺も神と一体になるわ」と言うことも出来た訳だ。しかし現実はそうなっていない。この視点は盲点だった。
あと、筆者の過去のエピソードで、筆者の友人に日本の神道のイデオロギーがどんなものか分からないと問われた神官の答えがなかなか面白かった。めんどくさいので引用はしないが、なかなか愉快な話だ。
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