・倫理の講義の予習課題をやったのだが、カントの思想で「すべての理性的存在者は、自分や他人を単に手段として扱ってはならず、 つねに同時に目的自体として扱わねばならない」というのがあるのを知った。要するに人を単に手段として扱うのはだめ、その人の自律を尊重しろ、その人の人間性を尊重して益することそれ自体を目的としろという話だ。
内容が直感的にかなり納得できるし、定式化の形としてもそこそこ厳密でよく出来ている。これは良い言葉を知った。
が、1つ疑問がある。「『人を目的として扱うという徳を示す』という目的の手段として人を扱っている」ことにはならないのだろうか。
一つ考えられる答えとしては、手段として扱うこと自体がだめなのではなく、同時に目的として扱っていればOKなのであるから、ある面で目的自体として扱っている時点でOKであるという風には考えられる。しかし、そうであることを行為者以外にどこの誰が保証してくれるのだろうか?
割と切実な問題として、例えば好きな作品などのファンアートを作るとき、それが「原作へ愛を捧げる」目的ならば原作を目的自体として扱っていることになり、道徳的である。
しかし、「『原作へ愛を捧げることで徳を示す』という目的の手段として原作を使っている」とき、これは原作をただの手段として、代替可能なモノとして扱っていることになる。
・ネットでの感情の観測をほとんど断って2か月くらい経つが、自分の感情も薄らいでいるのを感じている。環境依存的に発生するものだということが理解できた。空しいと言えば空しいし、澄んでいると言えば澄んでいる。それ自体はまあどっちの状態の方が良いという感じもしない。ただ、何かしようと動くための衝動も弱まっているのはいささか不便だ。
・「ボクたちのBL論」を読み進めている。補間して楽しむこと、感情移入の仕方に色々派閥があることなどでふむふむとなっているが、今のところ関係性を補間すること以外についてはぶっちゃけあらゆる作品の楽しみ方について言えそうなことが多く、「同性の」「恋愛関係」でなければいけない理由について辿り着けていない。まだ頭の方しか読めてないけど。
・課題を3つ消化した。
・CelesteのAny% WRの動画を見た。正直、9面まで自力でクリアした自分が見てもこれほど分からないとは思わなかった。ここまで自由に動けたらめちゃめちゃ気持ちいいだろうな。というか本当に人間がやってるの?8面で申し訳程度の人間アピールされても困るだけなんですが。
なんか見てて元気出た。
・何となく適当なメロディを鼻歌で歌ってて、良い感じのが出てきたのでメモった。
で、なんかでも部分的に聞いたことあるなと思ったら多分イカサマライフゲエムだった。
何となくで思いついたメロディがどこからやってきたのか考えるのはちょっと楽しい。音楽業界の人ってどうやってオリジナリティのあるメロディ考えてるんだろ。
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