・今日は昼過ぎまで講義がないものだからずっと眠気に任せてごろごろしていた。うつぶせで二度寝したら悪夢にうなされた。妙な体勢で寝るものではない。
・夏目漱石「三四郎」を読了した。正直言って、一回読み通しただけではなんだか何も分かった感じがしない。ひたすら深長な意味の影がそこかしこに見えるばかりだ。もう少し真面目に読み解けばまた違った感想になるかもしれない。
しかしただ、ぼんやり読んでいても、全編を通していちいち空気感の描写がとても巧みだということは強く感じた。見える風景の静と動、色合い、明暗、そういったものをつぶさに描写していて、それでいてそれはただ無暗に詳細なのではなく意味あって話に繋がって来たりするから気が抜けない。
また会話において、ある種当たり前ではあるが言葉には間があり、その間にいちいち心情を揺り動かされる三四郎の心理描写がどうも他人事に思えない。こいつは自分のことじゃないか、自分しか知らん感覚だったのじゃないかこれは、と思った場面が2度3度でない。こんな代物が明治の時代から飛んできてぶっ刺さるのだから本当にろくでもない。
台詞回しの滑稽もいちいち面白い。天丼は明治の時代から基本だということが分かる。
本編を読み終えた後に後ろの解説を読んでみると、三四郎は「こころ」などと同じく新聞連載だったという話が書いてあった。それでいて連載時の季節や当時の実際のニュースなどともリンクしているという。それでまた驚いた。それは当時読んだら大層ウケたことだろうと思う。自分は作品を出来るだけ作者や歴史の文脈から切り離して評価したいと常から思っているのだが、こういう経験を積むとそれが揺らいでしまう。文脈の所為でつまらなくなるならまだしも、文脈によって面白くなりなおかつそれを企図して設計された作品だというのなら、是非にも歴史を踏まえてもう一度読み返したい。
とにかく、一回ぼんやり読んだだけだと良く分からなかった。
最後に何か付け足して言うなら、自分は美禰子が三四郎と結ばれるのか、最後まで予想を確信せずに読めたのでそこは割と楽しめたかもしれない。ストレイシープ。
・友人とマイコンの話を語り合った。自分の話を本当に楽しそうに聞いてくれるから本当に貴重なつながりだ。
中学や高校にも、そういう友人が1人か2人はいたが、もう久しく連絡をとっていない。来るもの拒まず去る者追わずで生きているといずれこうなる。
自分はずっと自分の知識を提供するコミュニケーションしか知らないで生きてきた。だから知的に謙虚で好奇心旺盛な人間を前にすると舌が踊る。それでいてそういう相手の聞き上手に甘えてやしないかと時々こわくなる。
昔、小学生の時?はもう少しましだった気もする。そうでなかった気もする。何もかも良く分からない。
ただ、今の友人は大切にしたい。もっとまともなやりかたでも、つながりを保てる人間になりたい。
・昼過ぎまで寝ていたから深夜になってもまるで眠くない。課題を進めて、そのまま朝になるかもしれない。タスク管理は行いつつ体内時計を戻していきたい。
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