特に一つの長文にまとめる気が起きなかったので思考垂れ流し

  • 勉強楽しいと思ってる人って「勉強の楽しさを伝える」ことはできるけど「勉強が楽しいと思えない人に寄り添う」ことってできなくね?
  • 勉強の楽しさと勉強がつまらないと思ってる人の気持ちと両方分かってる人とかいるのか?
  • 自分は勉強を楽しいと思っているがしかし勉強がつまらないという価値観も否定できないよな(あるものを否定してなくなったら苦労しない)
  • 志を共有しない人間による集団学習(学校の授業など)とか十中八九つまらないのでは
  • でも独学オンリーだったら誰も勉強しなくなるのでは(これは実験してみないと分からない)
  • 授業中に出た問題を自分が一番最初に解いて優越感を感じたことなどはあるが、これはたまたま自分が得意な分野の授業だったことに由来しており限定的だ(集団学習を大きく肯定する理由たりえない)
  • 本当に全く興味のない人間にとっては授業参加の意義すら分からないのでは
  • 集団学習が有用に作用するのって各生徒が参加の意義(楽しい、役に立つ など)を理解しているという前提の下のみでは
  • 人間に勉強をさせるためには楽しい授業をする前に必要性を感じさせる環境が必要では
  • 「もうみんな勉強やっとる やってへんのはお前だけ」状態にするなどを考えたがこれは一部の人間にしか効力が無いことが経験的に示される
  • ゲームやSNSなどは多くの人間に自発的に始められている。ここから推察するに必要なのは「みんな楽しんどる」かもしれない
  • そもそも勉強を義務化するのが楽しまれない原因の一つでは
  • しかし社会を生きるのに直接必要な勉強などは義務化する必要がある
  • 大人が「勉強しないと将来大変だよ」(しばしば「自分がその証明だ」が付け加えられる)と発言するのをよく聞くが、「大人になって必要性を強く感じてから勉強するのでは遅い」という社会状態に問題があるのでは?
  • 解決法として「子供の時から勉強の必要性が強く意識されるような社会づくり」「大人になってからでも勉強は遅くないという社会づくり」「勉強の必要のない社会づくり」が考えられる