インターネット巷ではテレビが廃れている、これからはインターネットの時代だと言われまくっている。曰く、インターネットでも面白いコンテンツが増えまくり、かつ最近のテレビは面白くない。

確かにインターネットには面白いコンテンツが栄え、テレビのコンテンツは面白くなくなってきているというのは同意だが、ただ面白さだけを軸とするモデルでは微妙に現況を説明しきれないという考えもあった。

インターネットではテレビでの発言への反応は良く行われているし、実況も普通に行われている。ただ面白さを軸とするモデルでは、インターネットがテレビを「ただの一コンテンツ」に成り下げ切れていない現状をどうも説明しきれていないと思うのだ。これについて、最近考え付いたことがあるので書く。

テレビというプラットフォームの特徴は何かといえば、資金力、知名度、そしてライブ感ではなかろうか。

資金力と知名度は説明不要だと思うので置いておく。ライブ感の価値とはなんだろう。

思うに、ライブ感の価値というのは、「自分が知るまで他人も知らない」という点にあると思う。ライブ感のあるコンテンツでは「自分は今、多くの他人と同時に同様の内容を知った」という感覚を味わうことができる。そのコンテンツに対する感動を、時間軸上に他人と共有できるということだ。ライブ感のないコンテンツ、つまり「自分は今知ったが大勢の他人がすでに知っている可能性のあるコンテンツ」ではそれはあり得ない。この意味において勉強(≠研究)などはオワコンだが、役立つなどの付加価値と同学年の仲間による小規模なライブ感で学校は盛り上げている。

閑話休題。要するにライブ感こそが未だテレビが殺され切らない理由の一つだ。Webページはいつでも見れる。しかしテレビは自分が「今見た」のなら、他人も「今見た」ことが保障されるのだ。インターネット上にも生放送がいくらでもあるじゃないかと言われるかもしれないが、そこで数行前で上げた「知名度」が活きてくる。ライブ感は知名度と相乗効果があると推論できる。なぜなら、ライブ感は感情の時間軸上の共有が鍵なので、その共有する相手が多いということはすなわち効果も大きいのだ。

しかしその砦たるライブ感が失われていっている面もまた、ある。

自分の家族は平日の朝にNHKのニュースを見るので、一応それを自分も見ているのだが、そこに「世界が注目!ネット動画」というコーナーがある。

これはまさにライブ感の喪失だ。世界がすでに注目しているものをとりあげるなど、「初見の感動」を共有できる人の数が少ないことを、自ら保証しているではないか。まあ「世界が」注目であって「あなたのまわりの人が」でないという点を踏まえれば、多少ライブ感はあるかもしれないが。

ネット文化を流入させたり、ネットで調べればすぐにでも分かる知識を取り上げることをテレビでやるのは、まさに自らの長所を活かせていない例と見える。テレビで放送されるものは(生放送で無い限り)出演者や放送作家がすでに見たものなので、「今自分が初めて知った!」という第一発見者の感動は元々テレビには無い。しかし、最近のよくある一部のテレビ番組では「大勢の」誰かがすでに知っている知識や文化を垂れ流されるのだから、「今自分も他人も同時に知った!」という共有された感動すらない。芸人をぞろぞろと出して、大勢と共有しているように錯覚させたいという気持ちは分かるが、自分はそんな人らよりも家族や友人と共有したいし、インターネット上の不特定多数などと共有する方がまだましだと思う。

テレビでやる価値をきちんとつけるには、たとえすでに話題になっていることや調べれば分かることを取り上げるにしても、それに関するググるだけでは出てこない情報を深掘りする必要がある。あるいは深堀りするにしても、せっかちで時間のない現代人を満足させたいならば、比較的速やかにその深い話題へ移行した方が良い。大勢にとって既知の部分や無意味な部分を長く見せ続けられると結局はそちらがメインとなってしまい、離脱率は高まると考えられる。

ところで、今散々にけなした「既知の事、調査が容易な事」の話題をテレビがやっても、そこに残るライブ感がある。それは何かと言うと「メタなライブ感」、つまり、テレビが既知のAという話題を報道したとしても、「○○テレビがAという話題を報道した」という情報は「今」皆が知る。あるいはどのような形で放送したといったこともその時知ることになる。かつてジブリ映画「天空の城ラピュタ」のテレビ放映で、バルスカウントダウンが非難の的になり話題を呼んだが、これが注目を浴びるのはこの「メタなライブ感」に基づくと考えられる。

「テレビ」が死にかけていても「テレビの放送内容」がネットの話題として生き残っている理由の一つはこの「メタなライブ感」ではないだろうか。メタなライブ感は利用価値が無いわけではないが、内容のライブ感を強くすることの方が重要であることはほぼほぼ自明だ。

この文章で定義し説明してきた「ライブ感」は、あくまでテレビやインターネットのコンテンツの魅力を構成する一つの軸に過ぎず、これだけで全コンテンツの興亡史を説明するものではない。当然内容がつまらなければ、他人と同時に内容を共有しても「つまんなかったねー」を共有するに終わる。ライブ感という武器を活かすには内容も良い必要があるのだ。(なお「要素」と呼ばず「軸」と言ったのは、内容自体の面白さに影響を及ぼすくらいには重要だと思うから.)

個人的にテレビはインターネットとは単純に別のコンテンツプラットフォームとして別の良さがあると思っている。期待もしなければ悲観もしないし、面白いと思う番組だけ見て面白がってればいいかなという感じである。