物語のメッセージは物語で伝えて欲しいなという話
始めに書いておくと、以下に述べる内容は全てきてらいの個人的趣向であり、きてらい及び似た趣向の人間を満足させる物語を書きたいという人間のみが留意すれば良い話であることをご理解頂きたい。以下の内容に即すことに縛られた結果生まれなくなる作品があってはならないので、あくまで参考程度に考えて欲しい。
自分があまり好まない物語上の表現とは、実在の人物の言葉の引用だ。
もちろん「まんがでわかる」などのような、そもそもそういう目的の作品は全く否定しない。自分が不満を感じるのは何かいわゆる普通の物語作品の場合、特にメッセージ性の強い物語作品の場合だ。ジャンルが何だとかどんな展開だとか世界観がどんなとかは関係ない。一般的な物語作品全般の内、メッセージ性のあるものに関することだ。
登場人物が自分の考えを語るシーンのセリフなどで実在の人物の言葉を引用されると、個人的にはものすごく萎える。もちろん他の部分が圧倒的に面白いので全体として良い、という場合もあるが、それでも無い方がいいなあということがある。
ネタとして出すのならまだ良いが、物語や物語中の人物の提示する価値観を他人の言葉を持って語られる、もしくは他人の言葉をパーツとして語られることには失望感がある。その物語のメッセージを伝える最適な方法が誰かの言葉の引用で語ることだというのが、どれだけ深く考えた結果のものだったとしても、出来れば見たくない。正確に伝わりにくく考えられようと、どんなに語りつくされた概念であろうと、自分の言葉(あるいは言外の様々な方法)でまずは伝えてきて欲しい。
まず一に、他人の言葉を使って行われている主張は、いわばツギハギだ。
もちろんこの「ツギハギ」は否定的意味ではない。存在のジャンルである。例えば、カントの言葉を引用して行われている主張は、カントの言葉を素材とした「MAD動画」あるいは「BB劇場」である。もちろん否定する気はない。面白い可能性は1%たりとも変わらない。実際普通に面白いかもしれない。しかし、MAD動画はMAD動画であって、元素材が異常に薄っぺらかったりしない限り、一次創作たり得ることは絶対にないのだ。そして、有名な哲学者の言葉を引用する限り、「元素材が薄いためオリジナル成分の方が多い」という例外もなくなる。
つまり何が言いたいかというと、物語の中で誰かが考えを、哲学者などの言葉を引用して語ることは、自分にとってすなわち「オリジナルアニメを見ようとしたら途中からBB劇場になった」みたいなものなのである。
面白いかもしれない。しかし、オリジナル作品と言っていた看板と違うではないか。いや、まともに考えれば自分は勝手に看板を見出して勝手にそれと違うといっている狂人なのであるが。しかしせめて、MAD動画ではなく「二次創作手描きアニメ劇場」などがみたかった。元素材を咀嚼してその結果0から作られたものが欲しかった。しかしそれは素材の味の生きたものだった。
一つ目の理由は以上だ。一応二つ目。
そもそも正確に引用することなどめちゃくちゃ難しいのではないか。
物語が伝えることを目指すところのメッセージと、例えば荘子の言葉が近かったとする。それで、物語の登場人物がクライマックスシーンで荘子の言葉を引き合いにするなどしながらべらべら喋り始める。
なるほど、言ってる話の内容はとても面白い。伝えるだけの価値があるメッセージかもしれない。しかし、引用の仕方が間違ってないか?あの言葉はそういう意味で言ったんだっけ?うーん。
といったことが起こりえるのではないか。これの性質が悪いのは、引用元の言葉の思想を深く理解しない限り、引用の仕方の正しさを証明も反証もできないことである。というか、そもそも一言で語り尽くせる哲学などほぼありえない。「神は死んだ」とか「人間は考える葦である」とか、その一言だけを聞いて意味を特定することは原理的に不可能だ。あるいは「神は人の上に人を作らず人の下に人を作らず」のように、前後の文脈を読まないと容易に誤解するものもある。
この作者は発言者に敬意をもってその人の思想を学び、自分の思想の糧としているのだろうか?それすら判断することは難しいのだ。あるいは敬意をもって思想を学んでいようと、意図の間違った引用をしてしまうかもしれない。
だったら最初から全て作者本人のやり方で伝えて欲しいのだ。もちろん元となる思想は誰かに学んでて構わないが、それを元手に作った作品は全て自力で考えた表現方法で構成されていてほしい。
普通の灰色の石を積み重ねて建物を作っている最中、「ちょうどきれいなのがあったから」と拾った黄金の石を、形がよく見ると微妙に合わないのに無理くり入れて、それで崩れたらあほうだと思う。そういう話だ。
以上が二つ目の理由である。他にも理由は上げられるかもしれないが、とにかく自分は物語の登場人物が実在の人物の言葉を利用して思想を披露するのが苦手だ。
これはあくまで筆者きてらいの趣味嗜好である。これに従う義務はこの世の如何なる創作者にもない。これは崇高な問題提起でもなんでもなく、個人的な嗜好の表明、そしてそれを満たそうとしたら裏切られたことがあり悲しかったというストレス解消的な愚痴の日記以上の何物でもない。ただ、もしこれを読んだ人が自分及び自分に似た人の好みに合う物語を作ることがあったらラッキーというものである。予防線張りまくってんじゃねーと言われるかもしれないがだいたい本当に思っていることなのでご容赦頂きたい。