自分の好みな作品に関する言語化シリーズ。

創作作品、とりわけゲームというジャンルにおいて、とかく「この世界観をさあ楽しんでください!」という雰囲気(というかプロモーション)の作品というものがそこそこあると思う。自分はそういうのがあまり好きではない。さあ楽しむべきものを用意しました、さあ楽しんでくださいという押しつけがましさが好かないのである。

しかし商業作品は多かれ少なかれプロモーションというものはする。しないと誰も買わないし商売にならないからだ。その中にあって、押しつけがましさをあまり感じないプロモーションというのもある。それらは一体どういう風であるのだろうか。あるいはどういう風であるゆえに不快感を感じないのだろうか。

自分が思うに、押しつけがましさを感じるプロモーションというのは「テーマパークのチケット」として製品を主張しているのである。こういう面白い場所を私たちが作りました、ぜひこのツアーに参加してください、そういう主張なのである。

一方で押しつけがましさを感じないプロモーションというのは「目的地までのバスのチケット」として製品を主張しているように思う。私たちはただ仕事としてそこまでのアクセスを提供しているだけでそれ以上はしませんよ、というよそよそしい態度。そこには「私たちがあなたのために用意しました」というアピールが欠けている。行き先が良いところという説明はするが、それは客への道先案内であって自負に類するものではない。こちらに目線を向けず、自ら望んで来た客のみを機械的に送迎する。このようなあり方こそ愛すべきものだ。