一般的に人間は無理をして働くと、いつかはぶっ倒れて十分に回復するまで働くことは不可能になる。当たり前のことである。

世の中には、これを飲めばより長時間活動できるというようなアイテムもある。栄養ドリンクの類がそれだ。ただしこういうものは基本的に将来の元気の前借りだと言われている。いわんや覚醒剤のごときは、言わずもがなである。

しかし極端な話、ここに8時間働いた人間が居るとして、その人間を物理的に構成する全ての分子元素配列及びその配置状態を完全に8時間前の状態に復元できたとしたら、この人間は当然また8時間働けるはずである。記憶も8時間前に戻るのだけが問題だ。

仮に、人間には活動することで高まるパラメータがあり、このパラメータが一定値を超えるとそれ以上の活動が出来なくなるとする。このパラメータはその人間の記憶(自我の連続性)と非分割だろうか?それとも分割可能だろうか?非分割ならば永遠に不眠不休で活動する人間は原理的に存在せず、逆に分割可能ならば、記憶を保ちつつその「パラメータ」だけを何らかの方法で減少させることによって、自我の連続性を保ちながら永遠に活動する人間は原理的に存在可能なはずである。

もちろんこの答えがどちらになるかは、人体の生理的な時間変化のどこまでを「記憶」と定義しどこまでを「体部分の疲れ」と定義するかによるだろうが、ふと疑問に思った。