「若いうちに運動しとけ」とか「高校の間に勉強しとけ」とか「青春をちゃんと楽しめ」など、自分の人生の反省を若い人に、人生の後輩に伝える人は鬼のように多い。Twitterで定期的に盛り上がる。

気持ちは痛いほどよくわかる。実際にその通りにしたら人生が豊かになったりするのかもしれない。しかし社会を知らない馬鹿な若者の立場で言わせてもらうと、実際にその通りにするというだけのことがいかに難しいだろうか。

そのようにするべきだ、しなければならないという強い実感をもって初めてやる気は出るものであると思う。たとえそのようにすべきと論理で理解したとしても実感がない以上、意思はあまり強く固まらない。それで途中で投げてしまう。あるいは最初からやらないのだ。

世の中には言葉だけで実感まで共有できる人間もいるのかもしれないが、あまりできない人間もまたいる。そのような人間に人生の先達としての意見を述べても、それはただの一意見以上の何物にもならない。別にそんな人間には伝える気が無いというなら別に構うものではないが、若者全体に対して呼び掛けるつもりなら、その言説は目的を達成しないと思われる。

これ以上はただのわがままになってしまうが、もし若者に対して自分の意見を入れるのが目的でなく、若者の今後の人生を豊かにすることが目的ならば、今の若者が将来「ああすればよかった」と思わないような社会づくりを行ってほしい。もちろん全ての大人がそのようなことのできる立場ではないとは思う。だから若者に「こうするといい」を教えているのかもしれないとは思う。しかし、自分には実感がないのだ。だからそのまま従えない。申し訳ないとは思う。しかし従えない。だから、本当にただのわがままであるが、若者の人生を豊かにしたいのであれば、若者ではなく、社会を変えて欲しい。1ミリでも社会を変えて、一つだけでも誰か若者の将来の「ああすればよかった」を無くすことができたら、その人には金メダルをあげたいと思う。

残念ながらきっと、それをしてくれた人やそれをする努力をしてくれた人は観測不可能だ。例え若者の将来の「ああすればよかった」が10個から9個になっても、10個だったパラレルワールドは観測できない。だから9個に減らしてくれた功労者は誰なのか、そもそもいるのかどうかすらほぼ分からない。「こうするといい」を教えてくれた人には感謝できるが、社会をちょびっと変えてくれた人は観測すらできないのだ。でも、僕はその人の方がエラいと思う。いるかどうかすら分からないが、ここに感謝の意を書く。いるのかどうかわからないけど、もしいたら、ありがとう。本当にありがとう。あなたの素晴らしさをここに保証します。本当にありがとう。

わがままで馬鹿な若者のしょうもない戯言ではあるが、この世のどこかで優しいおっさんやおばさんがこれを読まん事を