構造が好きだという話
January 27, 2021
箱推し、という言葉があるらしい。
アニメや漫画などの作品において、ある特定のキャラが好きだという「○○推し」に対比され、作品や世界観全体が好きだということを指す。この語彙を使わせてもらえば、自分はキャラ推しよりも箱推しの傾向が強いのだと思う。
もちろんハマった作品は個々のキャラも好きになる。しかしそれはそれとして、自分の興味は個々のキャラの掘り下げというよりは話の流れや世界観の構造、それも細部ではなく、全体を貫く大きな流れや大枠に向く。
自分は創作もたまにするが、キャラの名前というものにはいつも悩む。良い名前が思いつかないというよりは、あんまり名前を付けたくない。個々のキャラやその属性というよりは時間軸の伴った物語に注目してもらいたいし、名前を付けるとたまたま名前の似ている関係ない現実の事物や別の作品のキャラなどとのつながりが勝手に連想されかねないというのも大きい。
キャラの名前も中身も、世界に存在するものの形や見た目なども、全て取り替えたとしてなお変わらずに保たれるもの。それには大いなる一般性がある。
名前を付けられたキャラにはかけがえのない、交換不能な価値がある。キャラ推しをする人はそれを重視するのだろう。自分もそういう価値は重要だと思う。しかしそれはそれとして、キャラをどれだけ取り換えたとしてもなお残るであろうその構造には普遍的な価値があり、自分はそれが好きだ。
「交換できない価値」がそこに存在することと、「仮にそれを交換した場合にもそこに残り続ける構造には価値がある」ことは両立する。この部分を、この2種類の価値が並立するという点を最近まで言語化していなかったことに気付いたので、ここに書いておく。