自分はYoutubeをはじめとする動画サイトにおける「チャンネル」という言葉に対してずっと違和感を感じている。この感じはどこから来ているのだろう。

「チャンネル」の語義を辞書的に調べてみると元としては「経路」であり、そこから情報の伝送路である、テレビ・ラジオの各放送局周波数帯の意味になったようだ。この感覚は自分と大分あっている。

テレビは常に情報を「流して」いる。チャンネルを合わせればそこには唯1つのその時流れている情報だけがあり、蓄積が残っていたりはしない。

それに対して、動画サイトは投稿した動画をリスト化し、いつでも見られるようにしている。それは自分の感覚として、情報の「経路」というより「公開展示場」に近い。そこには蓄積があり、複数のコンテンツがあり、受け手による閲覧の選択可能性がある。これがテレビとの差だ。

中を複数の情報が流れ、時に留まることもあるそれもまた「経路」であると言うことは勿論可能だ。しかし個人的なこう、何と言うべきか、願いとして。動画サイトの提示する概念が既存のテレビ・ラジオが提示した概念の後追いでしかない、ただの改良ブツでしかないという世界観はとても寂しいように思うから、いい加減に「チャンネル」というネーミングは変えてほしいと思う。

Youtubeは一人一人がチャンネルをもつという点を新奇さとして打ち出すつもりだったのだろうと思う。しかしインターネットで誰でもいつでも何でも見れることが標準化した今チャンネルという概念自体が古臭くはないか。そして実際問題として、「チャンネル」よりも新しいものを提示できているではないか。ならば相応の名前を付けて欲しいと思う。どんな名前を付けるべきか知らないが、仮に甲としよう。甲はチャンネルにない長所もあれば、チャンネルにない短所もある。そこを明確化する意味でも別の名前を付けて欲しいものだ。