たとえば「優勝が決まるまでヒゲを剃らない」など。

世の中に多々ある験担ぎの中の一つのカテゴリとして、「良好である現状をなるべく維持するために、可能な限り状態を変えずに保つ」というものがある。

もちろん冒頭に示した例はまさに「験担ぎ」と呼ばれるものになるが、「今までこれで上手くやってきたのだから変えない」のような判断自体は、広く一般的に験担ぎとしてではなく行われているものだろう。

このような行動の根拠として論理的な説明を与えると以下のようなものになると考えられる。

 

「現状が良好かどうか」は、当然のことながら「現状」を変数に持った関数である。以下「良好度(現状)」と表記。

「現状」という変数の変化量、「Δ現状」の絶対値が小さければ小さいほど、「Δ良好度」も小さくなると予想される。

そうすると、「良好度(現状)」の値が高い(良好である)とき、「Δ現状」をなるべく小さくすることが良好度を高く保つ良策と考えられる。

 

しかしこの演繹には決定的な穴が存在する。それは、「現状」は自分以外の手によっても変化するという点だ。

「現状」は要するに世界全体ということになるので、実質的に無限の変数を持った関数ということができる。つまりカッコ書きの関数の形にすると「現状(x1, x2, x3, ...)」になるということだ。

このとき、この「x1, x2, x3, ...」という無限個の変数はおおよそ、ある2つの集合のどちらかに分けられる。その集合とは、「自分で制御可能なファクター」と「自分で制御不可能なファクター」の二つだ。

例えば「自分は本を読むか読まないか」という変数は「自分で制御可能」ということが出来る。自分の手で完全に制御可能だからだ。しかし「ニンジンの価格は一本いくらか」などの変数は当然のことながら「自分で制御不可能なファクター」に含まれる。「影響を与えること」なら出来るかもしれないが、それは自分の判断で自由に制御可能であることを意味しない。

なお「意志はあってもやる気が…」とか「部分的になら制御できるけど…」などといった部分に言及するとややこしくなるので、この場ではとりあえず「二つの集合に分類可能」ということにしておく。

そうすると、現状という関数は「現状(制御可能ファクタ, 制御不能ファクタ)」という二変数関数として表せることになる。ここで、「保つ」という術を施すことができるのは当然「制御可能ファクタ」のみだ。なので当然「Δ現状」は、「Δ制御可能ファクタ」を0に近づけたところで「Δ制御不能ファクタ」が0でない限り高い値をとるということになる。

以上の議論から、如何に現状が良好であっても、自分が何も変わらないままそのように良好に保つことは不可能に等しいと考えられる。

良好度を思った通りに制御する方法としては、制御可能ファクタに制御不能ファクタの値をフィードバックさせることが考えられる。簡単なモデルとして「現状(制御可能ファクタ, 制御不能ファクタ)=制御可能ファクタ×制御不能ファクタ」としたとき、「制御可能ファクタ=目的値×制御不能ファクタ^(-1)」といった感じであれば、「現状(制御可能ファクタ, 制御不能ファクタ)=制御可能ファクタ×制御不能ファクタ=目的値×制御不能ファクタ^(-1)×制御不能ファクタ=目的値」となる。平易な言葉で言い表せば、「幸せになるためにはがむしゃらに頑張るのだけでなくちゃんと勉強して世界をちゃんと見ろ」ということになる。が、そのような単純な言葉には穴がある。すなわち、最初に「変数の集合だ」と定義した通り、制御不能ファクタは多数の変数の集まりなので、その中のどれを制御可能ファクタにフィードバックさせるかという問題が出てくる。

実質的にすべてを観測してすべてをフィードバックさせることは不可能なので、選択的にやる必要があるのだが、そのどれを選択するのが最良かというのはこの世の誰一人完璧には知らないというのが一番の問題となる。

そこで出てくるのが学問だ。先人の教えに学ぶことによって「どれを観測しどれをフィードバックさせるのが最適か」という知識を得ることができ、幾分ましになることができる。しかしこの点について今までの議論を適用すると、「どれを観測しどれをフィードバックさせるのが最適か」を時代に合わせて変えていかなければ「良好度」の制御は難しいという主張が生み出される。

どうすれば「良好度」を制御できるかということを考えていたら再帰的構造が生まれてしまった。無限後退は人類には不可能である。

ずいぶんと議論がわき道に逸れてしまったが、何が言いたいかというと、周囲をちゃんと観測して自分が変化しなければ現状は制御できないし、でもどれだけ上手くやろうとしてもダメという可能性もあるよ、という話である。各自頑張るしかない。どうしてもダメならもう「別によくね」と考えることも大事かもしれないのだ。

 

最後にちょろっと言った「『別に良くね』と考える」というのは、一種の裏技である。ここまでの議論は

①「良好度」を制御したい

②「良好度」は「現状」の関数なので「現状」を制御したい

③「現状」は「制御可能ファクタ」と「制御不能ファクタ」の二変数関数であり、「制御可能ファクタ」の制御方法を最適化したい

④「制御可能ファクタ」に「制御不能ファクタ」の観測情報をフィードバックさせることが必要

といった道のりである。しかし一つ、ここに含まれていない道のりがある。それは、

「現状」→「良好度」の対応関係を変える、という手段だ。

「現状」は世界全体のことになるので完全な制御は無理である。これまで散々説明した通りだ。しかし、「良好度」は認識である。自分の内なるファクターなので、世界全体よりは変更が比較的容易になる。

ポリアンナになる必要はないが、「良好度」を制御するには「現状」を制御する以外に、自分自身の認識を制御するという手があるということをわきまえていると便利かもしれない。